光を寄せ付けない部屋。太陽を嫌うかのようにこの部屋には窓がなかった。
時計の針が律儀に時を刻み、音のない部屋に響き渡る。
クロードは蝋燭を手に取り火を点け、燭台に立てかけた。
すぐ傍には薔薇が飾られていたが、少し生気を失くしているようにも見える。
白い花びらが少しピンクに染まり、優しい香りを放っていた。
もう少し早ければ、美しく咲いていたのかもしれないが、無理もないだろう。
この部屋には光というものが存在しないのだから。
クロードは揺れる炎を見つめ、少女のことを思い出していた。
油断していた。まさか見られてしまうなんて...。
しかし、相手は人間。まだあどけない少女だった。恐れる必要はないだろう。
人間は弱く、吸血鬼に敵うような相手ではない。殺してしまえばいい。
そう思っていたはずなのに、殺せなかった...。
少女の顔が頭から離れない。まだこの瞼に焼きついている。微かに残る少女の体温。
抱きしめた腕が思い出させる。名前も知らない少女の顔を。
吸血鬼だと知れば、人は皆怯え、震え上がるものだと思っていた。
実際、今まで見てきた人間のほとんどがそうだった。でも、彼女は違った。
「とても優しい目をしているから。」
そう言って、彼女は怖がろうとはしなかった。怖がるどころか優しい目だと言た。
こんなに汚れた瞳なのに...。
変わった人間だ。彼女も娼婦なのだろうか?
娼館にいる女は娼婦で、男がその客なのは不自然なことではない。彼女が娼婦なのは明らかだ。
彼女は今日まで何人の男達と夜を明かしたのだろう?
クロードは頭を抱え込んだ。少女の存在が胸を締め付け、苦しめる。
時計の針は相変わらず律儀に時を刻み続ける。次第にその針の音に苛立ち始めた。煩い。
今夜はいったい誰の腕の中で眠りにつくのだろう?
ほかの男の腕の中にいるなんて考えたくもない。これ以上彼女が汚れるのは嫌だ。
上着に手を当て、何かを探すように手を動かし、木でできた箱を取り出した。
そのふたを開け、中身を確かめるように眺めた。中に入っていたのはペンダントだった。
中心にはダイヤが埋め込まれ、その周りを囲むように取り付けられた様々な種類の宝石達。
細部にまで手が行き届いているため、どれほど高価な物なのか誰が見ても分かる品物だろう。
無数の宝石が鎖の繋ぎ目にまで散りばめられ、とても丁寧に仕上げられている。
しかし、どんなに価値があろうとも、それはクロードを苦しめる物でしかなかった。
今でも鮮明に蘇る忌まわしい記憶。どんなに時が経っても、決して忘れることはできない。
クロードは静かにそのふたを閉じた。そして、上着にその箱を隠し、薔薇に目をやった。
その中から一番形のいい物を選んで手に取り、部屋を後にした。
向かった先は、少女のいる娼館。


娼館は目の前だと言うのに、足取りは重く、なかなか前へ進めない。
彼女に会ってどうする?本当にこれでいいのだろうか?クロードに迷いが生まれた。
「ちょっと寄っていかない?」
女性の声がためらうクロードの思考を妨げた。
胸の開いたドレスを身に纏い、少し乱れた髪を掻き揚げながら、見知らぬ女性が近寄ってきた。
おそらく彼女もここで働いているんだろう。その服装からすぐに娼婦だと分かった。
半ば強引に腕を引かれ、娼館の中へ連れて行かれた。

「綺麗な花。」
娼婦が薔薇に手を近づけた。
「触るな。」
睨みつけるように冷たい視線を送ったが、娼婦は全く動じない。
「怒った顔も素敵なのね。」
娼婦はクロードの胸に顔を押し付けながら、甘えるような声で言った。
「一晩いかが?お安くするわ。」
鬱陶しい。娼婦の体を突き放し、目を背けた。
これだから娼婦は嫌なんだ。
娼婦との面倒なやり取りをしていると、少し離れた場所で誰かが扉を開ける音が聞こえてきた。
そして、そこに現れたのは探していた少女の姿だった。
少女はクロード気にづいていないようだったが、クロードはすぐに彼女だと分かった。
見間違えるはずがない。
少女の後を追いかけようとしたが、娼婦に腕を掴まれ、引き止められた。
「待って。どこに行くの?まさかあの子...?」
娼婦はクロードの腕にしっかりと自分の腕を絡ませながら、不愉快そうに言った。
「あの子はだめよ。」
「離せ。」
娼婦の手を払い除け、少女を探したが、そこに少女の姿はなかった。
「どこに行っていたんだい?客が来てるよ。」
クロードは声がする方を見た。また娼婦か...。そう思ったが、どうやら違うらしい。
現れたのは少し年老いた女性。その姿や態度から、娼婦ではないようだった。
「せっかくいい男を見つけたと思ったのに...。」
娼婦は女性に聞こえないように小さな声で呟いた。
「おや。客かい?悪いけどこの子は先客がいてねぇ。」
女性はクロードを見て、そう言った。
「心配いらないわ。この人、私の客じゃないの。」
娼婦が口を挟んだ。
「どういうことだい?」
「あなたが探しているのはさっきの子でしょう?」
「さっきの子?誰のことだい?」
「昨日来た子のことよ。」
「ああ。あの子か...。そんなことよりあんたは客を待たせているんだよ?早く部屋に戻りな。」
それを聞いて、娼婦は不服そうに去って行った。
女性はその後ろ姿を見届けた後、申し訳なさそうに言った。
「あの子のことだけど、実は昨日来たばかりでねぇ。まだ客の前には出せなんだよ。」
昨日来たばかり?彼女はまだ娼婦ではない。そう確信したクロードは思わず胸をなで下ろした。
「悪いけどまた来てくれるかい?」
クロードは上着から隠しておいた箱を取り出し、その中身を女性に見せた。
「これだけじゃ足りませんか?」
女性はその箱を手に取り、何か物珍しい物でも見るかのような目で眺めた。
「これは...。どういうつもりだい?」
「彼女を売っていただきたい。」
女性は驚いて、少し考える素振りを見せた。
「あんた、あの子の知り合いかい?」
「え?」
「これは高価な物だろう?それを手放してまで...。そこまでする必要があるのかい?
 まあ。あたしには関係のないことか...。すまないねぇ。余計なことを言って。」
「いえ。」
「連れて行けばいい。あんたの好きにすればいいさ。」
「え?」
「売ってやるって言ってるんだよ。ついておいで。あの子の部屋へ案内するから。」
そう言って女性が歩き出し、クロードもその後に続いた。
何をやっているんだろう?たかが人間ごときのために...。全くどうかしている。
出会ったばかりの人間にそこまでする必要なんてないのかもしれない。
でも、彼女が汚れるのは耐えられない。彼女には普通の生活を送ってもらいたい。
そして早く忘れてもらおう。忘れた方がいいに決まっている。それが彼女のため。
彼女と会うのはこれで最後。これで...。

「ここだよ。」
女性は部屋の前で立ち止まり、それに合わせるようにクロードも足を止めた。
女性が扉を叩いたが、返事は聞こえない。
「おかしいねぇ。」
不思議に思った女性は扉を開け、中を覗いた。しかし、そこに少女の姿はなかった。
「どこに行ったんだろうねぇ...。ここで待っていてくれるかい?」
「あの...。」
「なんだい?」
「これを彼女に...。」
クロードは女性に薔薇を手渡すと、女性は薔薇を受け取り微笑んだ。
「薔薇か...。羨ましいねぇ。愛の告白かい?」
女性は急ぎ足で部屋を出て行ったが、クロードは予想外の言葉に驚いていた。
愛の告白?そんなことあるわけない。
あの薔薇は違う。あの薔薇にそんな意味はない。あの薔薇は...。
クロードは窓の前に立った。満月のせいか月の光がやけに眩しい。
しばらく月を眺めていると、急ぐような足音がクロードの耳に届いた。
その音がしだいに大きくなり、やがて今いる部屋の付近で急に止まった。
そして、扉を開ける音と共に、誰かが部屋に入ってきた。
それが誰なのかクロードには分かっている。
クロードが後ろを振り向くと、そこにはずっと探していた少女の姿があった。








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